小説27 熊井3

私は夕暮れの道場で、黙々と左右の拳を交互に前に突き出していた。空手の基本中の基本、正拳突きの型だ。いつも考えたくないことがあるとき、私はこうしていた。この時間だけは無心になれるからだ。しかし今回はそういう風にはいかなかった。頭の中ではつい先ほどの出来事が何度も繰り返される。




放課後、私は理由もわからず矢口たちと屋上へと向かう階段を上っていた。そんな私に矢口たちは
「ガツンとお願いしますね」
と言って、にやにやと悪そうな笑みを浮かべていた。屋上のドアを開けると一人の女生徒が立っていた。夏焼である。矢口たちは夏焼の顔を見ると、すぐに何かわめきだしながら夏焼へと近づいていった。
・・・そういうこと、か。
私がようやく自分の状況を把握したころで、矢口が私の顔を見てきた。
後はお願いします、と言うわけか。・・・なんとも都合のいい話だ。
私は当然拒否をした。矢口たちの行動を否定も肯定もしたつもりはない。「矢口たちの好きなようにしたらいい」という言葉は本音だった。しかし私がいなくなれば、この後矢口たちがどうなるか、というのも大体予想が出来ることだった。




結果、私は矢口たちを見捨てた、ということになるのだろう。仮にも仲間を・・・。
そんなことを考えていると、道場の扉が開いた。
「おう友理奈、今日は久々の休みだってのに精が出るな」
そう言いながら道場に入ってきたのは父だった。父はこの道場の師範を務めている。手にはバケツと雑巾を持っている。休みの日でも道場の掃除は父の日課だった。私はこの父の影響で幼い頃から空手を習っていた。
「休みの日くらい、やりたいことやっていいんだぞ」
「うん、わかってる」
「なんかないのか?ほら、カラオケだとかプリクラだとか・・・」
「いや・・・、別にそういうのはいい。興味ない」
「か〜!!まあ友理奈らしいっちゃらしいけどなぁ」
父は少し呆れたようにそう言ってから道場の掃除を始めた。
やりたいこと、か・・・。
本当は一つ気になっていることがあった。昨日やってきた転入生がやろうとしているダンシング部とやらだ。私のような不器用な子にはむかないだろう。でもあのポスターに描かれた楽しそうに笑う女の子の絵が、私を惹きつけていることは確かだった。